都市伝説 海外編


切り裂きジャック

1888年にイギリスで起こった事件の犯人の名称。
1888年8月31日から約二ヶ月間、ロンドンのイースト・エンド・ホワイトチャペルで少なくとも5人の売春婦がバラバラにされた。
署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけ、また、公共の場で犯行に及ぶなどその行動は大胆だったが1世紀たった今でも、犯人は見つかっていない。

「ジャック」とは特定の人物の名前を指しているのではなく、英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名である。







黒い目の子供たち

アメリカで流れた不気味な都市伝説の一つで、「Black Eyes Kids」=(黒い目の子供たち)と呼ばれる。

目玉が黒一色に塗りつぶされた子供たちが、他人の家に入りたがったり、車で送ってほしいとせがむという。これを拒否するとぶちぎれることがあるらしい。








ザ・バズビー・ストゥープ・チェア

座った者を死に招くという呪いのイス。

1702年、イギリスのヨークシャー州に住むトーマス・バズビーは、妻の父親を殺害した罪で絞首刑に処された。
彼には生前、愛用していたとてもお気に入りのイスがあった。
バズビーの死後このイスは、妻が家財道具を処分した一環で、「バズビー・ストゥープ・イン」というパブに置かれた。

パブに置かれたこのイスは、それが元殺人犯のものであったことや、持ち主が絞首刑になったこと、このイスには呪いがかけられている、などの色々な噂が広まり、おもしろがって座る人たちが多数いた。
しかし、第二次世界対戦中、パブで酒を飲んでふざけてこのイスに座った兵士たちが全員戦死した。その後も噂が噂を呼び、このイスはますます有名になり、たびたび若者たちの度胸試しに使われた。

バズビーが死んで300年以上経つが、その間このイスはずっとパブに置かれ、面白がって座る者や呪いを否定する人たちは後を経たず、年間で数人はこのイスに座った。
その数は300年で61人。そしてその61人はイスに座った後、極めて短期間で全員が死亡している。

その後パブのオーナーはこのイスを、地元の博物館である「サースク博物館」に寄付した。
博物館で「ザ・バズビー・ストゥープ・チェア」と名づけられたこのイスは、別名「死を招くイス」と呼ばれ、誰も座ることが出来ないように、今では天井からロープで吊り下げられて展示されている。







ハーメルンの笛吹き男

1284年、ハーメルンに「鼠捕り」を名乗る男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。
ハーメルンの人々が男に退治の報酬を約束すると、男は笛を取りその音でネズミの群れを惹き付け、ヴェーザー川でネズミをすべて溺死させた。
しかしハーメルンの人々が約束を破り報酬を渡さなかったため笛吹き男は怒り、一度はハーメルンの街を後にしたが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び戻って来た。
住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らしてハーメルンの子供達を街から連れ去り、130人の少年少女が洞窟の中に誘い入れられて、洞窟は内側から封印された。
その後、笛吹き男も洞窟に入った子供達も戻って来なかった。

物語の異説によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝えられている。






This Man

濃い眉毛、目がギラギラとして大きな口。頭は左側に分け目がありハゲ上がっている男。

2006年1月、ニューヨークの精神科に、ある1人の女性が訪れた。その女性は現実に逢ったことのない男が、しばしば夢に現れると言いモンタージュを描いた。そして数日後、今度は男性の患者が病院を訪れ、先の女性と似た話をした。男性が描いたモンタージュが、女性のモンタージュと似ていたという。
この現象に興味を感じた精神科医は、モンタージュを同僚の医師たちに送ったところ、4人の患者が同様のモンタージュの男を描いた。そのモンタージュの男は『This Man』と名付けられた。

この男は実在しているか分からない。しかし、ネット上で2006年1月から捜索されていて、世界に2000人も見たことがあると答えている。